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西宮まち歩き & 阪神間ぶらり散歩(第8回)
2018.06.09
こんにちは
先月の5月19日(土)。前夜までの雨があがり、さわやかなお天気に恵まれたこの日、「西宮まち歩き&阪神間ぶらり散歩」を行いました。
今回のコースは、阪神香櫨園駅を出発、夙川沿いを歩いてJRを越えたところにある「片鉾池」~苦楽園近くの指定文化財「旧山本家住宅」~「甲陽園駅前」~「アンネのバラの教会」までの約4kmというコースでした。
当日は、総勢27名の方にご参加いただきました。ご参加ありがとうございました。
まず、最初は夙川沿いの遊歩道をまっすぐ北に向かいました。夙川にはこいのぼりが、雨が上がった爽やかな5月の風を受けて泳いでいます。
JRの線路を潜って着いたのは、最初の目的地の「片鉾池(かたほこいけ)」。この片鉾池に明治40(1907)年につくられた香櫨園遊園地の説明を聞きました。当時、阪神香櫨園駅や片鉾池周辺は山林や原野だったそうですが、ここに、数万の観葉植物が植えられ、片鉾池にはウォーターシュート、ホテルや茶寮も建てられ、一大遊園地がつくられたのだそうです。園内には、動物園、博物館、音楽堂も設けられ、阪神電車も最寄駅として香櫨園駅を開設し、おおいに賑わったとか。今では、その片鉾池の上には、松下幸之助さんの寄付により建てられた西宮市立夙川公民館(別名「松下記念ホール」)が建てられていますが、昔の池の様子は、とても想像できません。
続いて、阪急夙川駅を越えてもうしばらく夙川沿いを歩いた後、国指定有形文化財の「旧山本家住宅」を訪れました。昭和13年(1938)に建てられた和洋折衷様式の住宅は、建築当初の外観や内部の設えをそのまま維持しており、ハーフティンバーの玄関を入ると、スパニッシュ風。船底天井とイスラミックタイルが私たちを出迎えてくれました。
旧山本家住宅の家の初代の主は鳥取出身の鉄山経営者、近藤寿一郎氏で、見積で最高額を出した業者に施工を依頼したそうです。現在ここを管理しているのは山本清記念財団ですが、山本氏は5代目のオーナーとしてこの住まいをこよなく愛し建築当時の設えを大切に守られました。
財団の方の案内で、中に進むと、向かって左が洋の空間。客間のマントルピースは大理石。階段の手すりを支える柱は、1本おきにデザインが異なる手の込みようでした。また、この日は、お茶会が催されており、和室の見学はできませんでしたが、奥の倉の入口まで拝見できたのは幸いでした。
庭も案内していただきましたが、茶室は松江藩ゆかりの不昧流とか。にじり口はなく、貴人口となっており、虫食いの柱や薄紅の外壁、天井の施しなどが見事でした。
続いて向かったのが、阪急「甲陽園駅前」です。
明治末ごろから、大阪や神戸など都市部の商人、知識人の間で自然豊かな環境で生活する「郊外生活」というライフスタイルが築かれ、その流れで開発がすすめられたのが、香櫨園、苦楽園、甲陽園、甲子園等の住宅地だそうです。
そして、甲陽園で驚かされたのが、現在の大池周辺に温泉、旅館、社交場、劇場、活動写真上映館、植物園、遊園地などが整備され、大変なにぎわった場所だったという事です。このにぎわいを受け、現在の阪急甲陽線が大正13年に開通したそうです。今では、甲陽園の昔の姿を偲ばせるものは数少ないとのことでしたが、その昔にしばらく思いを馳せました。
最後の見学地は、「アンネのバラの教会とアンネ・フランク資料館」でした。距離にして、甲陽園駅前から500mほどでしたが、この区間はそれまでの行程に比べ相当急峻で、5月としては爽やかな日にも関わらず、汗をかきかき教会に向かいました。
「アンネの日記」で知られるアンネ・フランクの父オットー・フランク氏との交流をきっかけに設立された聖イエス会の教会が「アンネのバラの教会とアンネ・フランク資料館」で、庭にはオットー氏より贈られた「アンネの形見のバラ」が見事に咲き誇っていました。この日は、牧師さんからアンネ・フランク資料館で、アンネの一生についてお話をお聞きしました。その後、資料館を見学、解散となりました。
次のまち歩きは夏が終わってからとなります。また、市政ニュース・チラシなどで案内させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
担当:藤本